岸谷五朗と寺脇康文:40年近い共演の軌跡 SET隊から地球ゴージャスまで続く“創作の相性”を読み解く

岸谷五朗と寺脇康文の長年のパートナーシップを抽象的に表現した横長デザイン背景。深いグリーンと白い光が交差し、作品テーマをイメージした構図。
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岸谷五朗と寺脇康文は、1980年代に同じ劇団で活動を始めて以来、長く創作を共にしてきたパートナーだ。SET隊として舞台経験を重ね、1994年には演劇ユニット「地球ゴージャス」を立ち上げ、現在まで多彩な公演を続けている。舞台づくりの方向性や表現の捉え方に共通点が多く、互いの役割を自然に分担できる関係性が長期的な協働を支えてきた。本記事では、二人の関係の始まりから主要作品、ユニット運営の背景までを整理し、そのパートナーシップがなぜ途切れず続いてきたのかを読み解いていく。

目次

岸谷五朗と寺脇康文の関係はどこから始まったのか

岸谷五朗と寺脇康文の関係は、1980年代前半に同じ劇団で活動を始めたことから始まる。二人が所属した劇団スーパー・エキセントリック・シアターは、芝居やコメディ、アクションなど幅広い表現を取り入れる方針を持ち、稽古量も多いことで知られていた。そこには多くの若手が集まり、岸谷と寺脇も同じ稽古場で舞台づくりに取り組む環境に身を置いていた。

稽古や小劇場公演で過ごす時間が重なるなかで、互いの芝居に対する姿勢を自然と理解するようになり、役者としての相性や呼吸の合い方が見えてくるようになる。役柄に応じて動き方や会話の間を調整する必要がある劇団スタイルは、相手の反応を細かく感じ取る技術が求められ、共演者同士の距離が近くなる土壌でもあった。

こうした環境での経験が、後に二人が共同で舞台を手がける際の土台となった。劇団時代に積み上げた感覚が共通言語となり、創作の方向性や演出面で意見のすり合わせがスムーズに進む基盤がすでにできていたともいえる。特に寺脇が俳優として現場を支え、岸谷が全体の構成や演出に視点を持つという役割は、この頃から自然に定まっていった。

劇団での活動を通じて信頼関係が深まり、互いの表現への理解が進んだことが、1994年の演劇ユニット結成へとつながっていく。二人が長年にわたり協働を続ける関係性の原点は、この劇団での時間にある。

SET時代に築かれた岸谷五朗と寺脇康文の基盤

岸谷五朗と寺脇康文が本格的に同じ舞台で活動するようになったのは、1980年代前半に劇団スーパー・エキセントリック・シアターで過ごした時期である。劇団では演技だけでなく、ダンスやアクションまで含めた総合的な稽古が組まれており、日々のトレーニングを通じて役者としての体づくりと表現の幅を自然に広げていった。こうした環境で過ごすうちに、二人は互いの動き方や感覚を共有しやすい関係になり、舞台上で合わせるための共通言語が芽生えていく。

劇団の活動と並行して、岸谷・寺脇・山田幸伸の三人で構成されたユニット「SET隊」でも舞台に立った。1987年に始まったこのユニットは、劇団公演内のコントや小規模企画を担当し、観客と近い距離でテンポの良い掛け合いを求められる場だった。ここで磨かれた即応性やリズム感は、二人が後に共同で舞台作品を手がける際にも重要な役割を果たすことになる。

SET隊の活動はコメディ色が強く「お笑い的」と見られることもあったが、実際には劇団での表現力を鍛える場として機能していた。役者同士のタイミングを細かく合わせる必要があり、岸谷と寺脇が互いの癖や呼吸を正確に把握するきっかけにもなった。舞台の状況に応じて動きを変える柔軟さは、この時期に養われたものといえる。

そうした積み重ねの先に、より自由な表現を求めたいという思いが二人の間で共有されるようになる。劇団で鍛えた技術と共通の感覚を生かし、新しい創作の場を自分たちで作る方向へ気持ちが向かっていった。1994年、二人がSETを離れたのはその流れの延長にあり、後に演劇ユニット「地球ゴージャス」を結成する決断へとつながっていく。

地球ゴージャス結成に至る二人の歩みと選択の背景

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