チェンソーマンの世界でたびたび名前だけ登場する「四騎士」。支配・戦争・飢餓・死という、人間が逃れられない恐怖を司る4体の悪魔は、デンジやポチタの過去とも深く結びつき、第一部から第二部にかけて物語の裏側を動かし続けてきました。
本記事では、支配の悪魔・戦争の悪魔・飢餓の悪魔・死の悪魔という四騎士のメンバー構成や能力の特徴、作中で果たしている役割を整理しながら、なぜ彼女たちだけが「特別扱い」されているのかを丁寧に解説します。四騎士という言葉は知っているけれど、それぞれが何を象徴し、どこで何をしているのかまでは把握しきれていない、という読者向けのガイドです。
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チェンソーマンの四騎士とは?世界観と基本設定
チェンソーマンの世界で「四騎士」と呼ばれるのは、支配・戦争・飢餓・死という、人間のごく根源的な恐怖から生まれた4体の悪魔の総称です。いずれも人間の少女の姿をとり、お互いのことを姉妹のように扱う、特別なグループとして描かれています。
物語の中で明かされている四騎士は、次の4体です。
| 悪魔 | 人間社会での主な姿 | 恐怖の源 | 作品内での初出・中心となる部 |
|---|---|---|---|
| 支配の悪魔 | マキマ → ナユタ | 他者に支配されること、意志を奪われる恐怖 | 第1部を通して暗躍し、終盤の核心を担う |
| 戦争の悪魔 | ヨル(三鷹アサと同居) | 戦争・殺し合い・争いの恐怖 | 第2部で本格的に登場し、アサと物語を牽引 |
| 飢餓の悪魔 | ファミ | 飢えや欠乏、生存が脅かされる恐怖 | 第2部で姿を現し、裏で計画を進める存在 |
| 死の悪魔 | 名前のみ、あるいは断片的に言及 | 死そのものへの恐怖 | これまで四騎士の一体として語られ、詳細は徐々に明かされつつある |
四騎士はいずれも「恐怖そのもの」を体現しており、通常の悪魔よりも明らかに格が高い存在として扱われています。彼女たちが象徴するのは、社会情勢や時代の空気ではなく、人類が時代を問わず抱き続けてきた不安そのものです。
四騎士には、いくつかの共通した特徴があります。
- 基本的に人間の少女の姿を取り、人間社会に紛れ込んで行動する
- 目の虹彩に輪のような模様があり、外見上も他の悪魔と区別しやすい
- 互いを姉妹のように呼び合い、立場や序列を意識した会話をする
- チェンソーの悪魔(ポチタ)との間に、地獄時代から続く因縁を持っている
とくに重要なのは、四騎士が「チェンソーマンに食べられた悪魔のことを覚えている」という点です。普通の悪魔はチェンソーの悪魔に“食べられた概念”を忘れてしまいますが、四騎士だけはその記憶を保持しており、過去に何が起きたのかを知る少数の証人でもあります。ここに、彼女たちが「世界の仕組み」に深く関わっている理由があります。
チェンソーマン本編では、第1部で支配の悪魔マキマが大きな役割を果たし、第2部では戦争の悪魔ヨルと飢餓の悪魔ファミが前面に出てきました。残る死の悪魔は断片的な情報が中心であり、今後の展開に向けてじわじわと存在感を増している段階です。四騎士をめぐる物語は、第1部と第2部をつなぐ“縦の軸”として機能しており、デンジやポチタの過去、世界の成り立ちを読み解くうえで欠かせないキーワードになっています。
支配の悪魔マキマとナユタ|「支配される恐怖」の正体
支配の悪魔は、チェンソーマン世界の四騎士の一体であり、人が「他者に支配され、意志や選択を奪われること」を恐れる感情から生まれた悪魔です。第一部ではマキマとして、第二部ではナユタとして登場し、同じ「支配の悪魔」でありながら、まったく違う姿でデンジの前に現れます。
まず、二人の基本的な立ち位置を整理しておきましょう。
| 名称 | 登場パート | 役割・立ち位置 | デンジとの関係 |
|---|---|---|---|
| マキマ(支配の悪魔の前任) | 第一部・公安編 | 公安対魔特異4課のトップであり、物語全体の黒幕的存在 | 上司であり“救い主”として近づき、同時に人生のすべてを支配しようとする |
| ナユタ(支配の悪魔の現在) | 第一部ラスト〜第二部 | マキマの死後に生まれ変わった少女。デンジと暮らす保護対象 | デンジの「家族」であり妹のような存在。彼を独占したがるが、本心では一緒に暮らしたい |
マキマは第一部で、公安の看板を掲げながらも、デンジの大切な人間関係や日常をひとつずつ壊していきます。目的は、チェンソーの悪魔ポチタの力を完全に引き出し、「苦しみのない平等な世界」を作ること。そのためなら、人も悪魔も自分の“犬”として扱い、契約や能力ごと支配することもいとわない存在でした。
一方で、支配の悪魔そのものの欲求は、後に「本当は対等な関係や家族がほしかった」という形で言語化されます。マキマは、誰かと対等になりたいのに、支配することでしか関係を築けない、矛盾した存在として描かれていました。このギャップが、読者に強い不気味さと哀しさを残します。
マキマがデンジに敗北したあと、支配の悪魔は少女ナユタとして中国で転生し、岸辺に保護されて日本へ連れてこられます。その後、政府に再び利用されることを防ぐため、デンジが保護者として一緒に暮らすことになります。
ナユタは同じ支配の悪魔でありながら、マキマとは性格も振る舞いも大きく異なります。二人の違いを整理すると、支配の悪魔という概念が物語の中でどう変化しているのかが見えてきます。
| 項目 | マキマ | ナユタ |
|---|---|---|
| 人格の印象 | 静かで謎めいた大人。徹底して感情を表に出さない | 子どもらしいわがままさと、素直な感情表現 |
| 支配の使い方 | 国家レベルの計画に利用し、人も悪魔も道具として扱う | デンジを守るため、あるいは日常の小競り合いに使うなど、スケールは小さい |
| デンジへの態度 | 従順な「犬」として扱い、最後まで対等な関係を拒む | デンジを家族として独占したがりつつも、一緒に暮らすことを何より望んでいる |
| 物語上の役割 | 第一部のラスボスであり、世界の仕組みを揺るがす存在 | 第二部での「日常」と「家族」を象徴する存在。今後の四騎士ドラマへの布石 |
ナユタもまた、チェーンを伸ばして対象を支配する能力や、記憶・感覚を書き換える能力など、マキマと同質の力を持っています。ただし、その規模は以前より弱く、支配できない相手も存在するなど、明確な制限が描かれています。
支配の悪魔という存在は、マキマからナユタへの転生を通じて、「支配される恐怖」だけでなく、「誰かとつながりたいのにうまくいかない」という、ごく個人的な孤独も背負わされたキャラクターになりました。第一部では圧倒的な支配者として恐怖の象徴だった存在が、第二部ではデンジと同じ“家族を求める側”へと少しずつ歩み寄っている。この変化こそが、四騎士の中でも支配の悪魔が特に強い物語性を持つ理由と言えるでしょう。
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戦争の悪魔ヨルと三鷹アサ|チェンソーマン第二部の争い
戦争の悪魔は、四騎士の一体として、人が戦争や殺し合い、争いそのものに抱く恐怖から生まれた悪魔です。チェンソーマン第二部では、三鷹アサという女子高生の体を半分共有するかたちで現れ、物語の表と裏の両方を動かしていきます。
戦争の悪魔ヨルとアサの関係は、他の悪魔契約とは少し違います。アサは本来なら死亡していたところを、ヨルに「体の半分を譲る」ことと引き換えに生かされました。その結果、アサとヨルはひとつの体を時間帯や主導権で分け合いながら生活することになります。学校ではアサが表に出て日常を送り、ときに危険な状況や戦闘が発生するとヨルが交代し、戦争の悪魔としての力をふるうという構図です。
戦争の悪魔の能力は、所有物や人間を「武器」に変えることに集約されています。ただし、何でも自由に武器化できるわけではなく、「自分のものだ」と思い込んでいる度合いや、対象に向けた感情の強さが条件として働きます。アサが自分の持ち物や、複雑な感情を抱えた相手を武器に変えようとする場面は、単なるバトル演出にとどまらず、人間関係そのものの危うさを突きつけるシーンとして描かれています。
ヨル自身は、過去にチェンソーマンに核兵器の悪魔を食べられ、戦争への恐怖が薄れたことで、世界から戦争が減ったことを恨んでいます。彼女の目的は、チェンソーマンを倒し、核兵器の悪魔を取り戻し、戦争への恐怖を再び世界に満ちさせることです。しかし、アサと一つの体を共有するうちに、ヨルはアサの孤独や不器用さに触れ、単なる「戦争の権化」として振る舞い切れなくなっていきます。
読者の目線から見ると、アサとヨルは「戦争の悪魔の二つの顔」にも見えます。表面的には、人を武器に変え、世界を再び戦争に巻き込みたいと願う破壊的な存在。しかし内側では、友人関係や恋心に不器用な二人が、互いの価値観をぶつけ合いながら少しずつ変化していく姿が描かれています。争いの象徴であるはずの戦争の悪魔が、むしろ「他者と分かり合えない苦しさ」を体現している点が、第二部ならではの特徴と言えるでしょう。
ヨルがアサの行動を強引にねじ曲げようとするとき、アサはそれに反発し、自分の意思を主張しようとします。ここには、「支配される側」と「支配する側」の力関係だけでなく、四騎士同士のテーマの響き合いも見えてきます。支配の悪魔が他者を徹底的に従わせようとしたのに対し、戦争の悪魔は一つの体の中で人間とぶつかり合い、妥協や譲歩を強いられていく。このねじれた共生関係こそが、戦争の悪魔ヨルとアサの物語の核心です。
今後の展開では、アサとヨルの関係がどこまで変わっていくのか、そして「争い」のイメージがどのように描き直されるのかが重要なポイントになっていきます。戦争の悪魔は、単に世界を破壊するための悪役ではなく、人と人が分かり合えないときに生まれる衝突そのものを映し出す鏡として、第二部の中心に立ち続ける存在です。
飢餓の悪魔ファミ|欠乏がもたらす長期戦の恐怖
飢餓の悪魔は、人間が抱く「飢え」「欠乏」「足りないまま生き続けること」への恐怖から生まれた四騎士の一体です。第四東高の転校生ファミとして登場し、普段はジャンクフードを食べ歩く飄々とした女子高生の姿をしていますが、その正体は多くの悪魔すら恐れる存在であり、第二部全体の長期的な暗躍者として描かれています。
物語における基本的なポジションを整理すると、次のようになります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 正体 | 飢餓の悪魔(四騎士の一体) |
| 人間社会での姿 | 第四東高の女子高生ファミ |
| 主な関わり | 三鷹アサ/ヨル、デンジ、チェンソーマン教会、死の悪魔 |
| 行動スタイル | 自ら前線で戦うより、他の悪魔や人間を「駒」として動かす策士型 |
飢餓の悪魔の能力は、「飢え」そのものを利用して対象を支配することにあります。空腹状態の人間や悪魔を「飢えた者」として自分の駒に変え、力を貸し与える代わりに意志を縛ることができると示されています。世界規模の飢饉を直接起こすのではなく、欠乏に追い込まれた者の行動を利用することで、より静かに、しかし確実に状況を変えていくのがファミのやり方です。
実際、ファミは落下の悪魔や火の悪魔など、強力な悪魔を複数「駒」として手元に置き、必要なタイミングで人間世界に呼び出していました。とくに落下の悪魔は「根源的恐怖」の一体とされる格上の悪魔ですが、飢餓の悪魔の力によって従わせられている描写があり、四騎士としての異常な格の高さを示しています。
ファミの恐ろしさは、戦闘シーンそのものよりも「長期的な計画性」にあります。チェンソーマン第二部では、世界に広まったノストラダムスの予言を利用し、死の悪魔の降臨時期と影響をコントロールしようとする動きが描かれますが、その裏側にはファミの思惑が絡んでいます。表向きには人類を救おうとしているように見える一方で、チェンソーマン教会や多数の悪魔を利用し、結果的に世界規模の混乱を引き起こしている点が象徴的です。
また、ファミはヨルやアサに対しても、あくまで「駒」として接します。アサのトラウマや孤独感を把握したうえで、必要最低限の救済や力を与え、最終的には自分の計画のために動いてもらう。その一方で、姉妹であるヨルに対しては、どこか情のようなものも見え隠れし、単純な悪役には収まらない複雑さを持っています。飢餓というテーマが、「食べ物の不足」だけでなく「愛情や承認の欠乏」まで含んでいることを示す描写と言えるでしょう。
連載が進むにつれ、ファミ自身もより大きな力に巻き込まれていきます。死の悪魔の計画が本格化すると、飢餓の悪魔である彼女すら駒として扱われる場面が現れ、四騎士の内部関係や力関係の歪みが浮かび上がってきました。世界を飢えさせる側でありながら、自分もまた「上位の恐怖」によって追い詰められていく構図は、チェンソーマンという作品らしい残酷さとアイロニーを備えています。
飢餓の悪魔ファミは、銃の悪魔や落下の悪魔のように一度きりのインパクトで終わる敵ではありません。人と悪魔の「足りなさ」に長く寄り添い、少しずつ状況をねじ曲げていく長期戦タイプの敵として、第二部の空気そのものを形作っている存在です。支配や戦争が「力でねじ伏せる恐怖」なら、飢餓は「じわじわと奪われ続ける恐怖」。その違いが、ファミの静かな微笑みと、背後で動き続ける大きな計画のギャップに集約されています。
デンジやパワーたちの関係性を、別の角度から味わえるスピンオフ小説が『チェンソーマン バディ・ストーリーズ』です。マキマに支配される前後のキャラ同士の距離感が気になる人は、DMMブックス版でゆっくり読み解いてみてください。
四騎士最古の死の悪魔|世界の終わりの気配と役割
四騎士の中で、もっとも古く、もっとも強い存在とされているのが「死の悪魔」です。人類が避けることのできない「死そのもの」への恐怖を司る悪魔であり、他の悪魔とは格が違う“究極の恐怖”として描かれています。
物語上では長らく名前だけが語られる存在でしたが、第二部の終盤で、「飢餓の悪魔キガちゃん」として登場していたファミの正体が、実は死の悪魔だったことが明かされます。正体を明かしたあと、彼女は「リル・D(死ーちゃん)」という新しい名乗りを使い、飢餓の仮面を外した状態で動き始めました。
まず、死の悪魔の基本的な位置づけを整理しておきます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 正体 | 四騎士の長女にあたる「死の悪魔」 |
| これまでの姿 | 飢餓の悪魔ファミとして振る舞い、世界の裏側で計画を進めていた |
| 新たな名乗り | 正体を明かした後は「リル・D(死ーちゃん)」として行動 |
| 司る恐怖 | 死そのもの・死に対するあらゆる恐怖 |
| 力の格 | 四騎士の中でも別格で、根源的恐怖クラス以上とされる存在 |
死の悪魔は、「世界最強クラスの悪魔」としてだけではなく、その生き方そのものが特異です。彼女は人間の文明や文化を好んでおり、本心では人類を滅ぼしたくありません。しかし、世界中の「死への恐怖」が一定の閾値を超えたとき、本人の意思とは無関係に力が暴走し、人類を終わりに導いてしまうと示唆されています。
そのため、死の悪魔は自分自身の存在を危険視しており、一度は自殺すら考えたものの、臓器を失っても死なない不死身の肉体ゆえにそれも叶いません。仮に自分が死ねたとしても、悪魔は地獄で再び生まれ直す性質があるため、次に生まれてくる死の悪魔が人間を好きとは限らない──むしろ即座に人類を滅ぼす可能性すらある。そのジレンマゆえに、彼女は「生き続けるしかない」と判断していることが語られます。
能力面では、「殺した生物を使役する」力を持つことが明かされています。死んだ存在を従えるという性質は、ゾンビ的なホラー表現というよりも、「死」の支配権そのものを握っていることの象徴として描かれており、他の悪魔たちからも一目置かれる理由になっています。実際、高位の悪魔たちが死の悪魔の到来を畏れ、彼女の前にひれ伏すといった記述もあり、その影響力は世界規模です。
興味深いのは、死の悪魔が「世界を終わらせたい存在」ではない点にあります。支配・戦争・飢餓の悪魔たちは、それぞれの理想や計画のために人類を利用しようとしますが、死の悪魔だけは、人間の文化や日常を好み、できることならこの世界を長く続けさせたいと考えています。それでもなお、彼女の本質が「死の恐怖」である以上、人間が恐怖するほど力は増し、やがて世界を壊してしまうかもしれない。この「好きだからこそ壊してしまうかもしれない」という矛盾が、死の悪魔というキャラクターの大きな悲劇性です。
四騎士全体の流れで見ると、支配・戦争・飢餓は、それぞれのやり方で世界をコントロールしようとしてきました。その頂点に立つ死の悪魔は、彼女たちよりもはるかに大きなスケールで、「世界が終わるかどうか」というレベルの問題を一身に背負っています。人間を守りたいという個人的な願いと、概念としての「死の悪魔」の性質が相反している以上、チェンソーマン第二部以降の物語は、彼女の選択と暴走の境目をどう扱うかが大きな焦点になっていくでしょう。
支配・戦争・飢餓・死という四つの恐怖のうち、最後の一つである死の悪魔は、「世界の終わりのスイッチ」を持ちながら、それを押したくない当事者でもあります。その矛盾をどう解消するのか──四騎士の物語は、ここから先、チェンソーマンという作品全体の結末に直結していく段階に入っています。
まとめ|四騎士が浮かび上がらせるチェンソーマン世界の核
ここまで見てきたように、四騎士はそれぞれが単体でも強烈な存在感を放ちながら、全員を並べることで初めて「チェンソーマンという作品が何を描こうとしているのか」が輪郭を帯びてきます。支配・戦争・飢餓・死という四つの恐怖は、どれも人類が歴史の中で繰り返し向き合ってきたテーマであり、そのまま現実世界の不安や暴力の構造にもつながっています。
四騎士を改めて整理すると、次のような関係性が見えてきます。
| 悪魔 | 担当する恐怖 | 物語の主な役割 | デンジとの距離感 |
|---|---|---|---|
| 支配の悪魔(マキマ/ナユタ) | 支配される恐怖 | 第一部の黒幕、第二部の日常の核 | 上司から家族へと関係が変化していく |
| 戦争の悪魔(ヨル) | 争い・戦争の恐怖 | 第二部のメイン対立軸 | 同級生アサを通じて、同世代としてぶつかる |
| 飢餓の悪魔(ファミ) | 飢え・欠乏の恐怖 | 長期的な計画を動かす策士 | デンジも“駒”の一人として巻き込まれる |
| 死の悪魔 | 死そのものの恐怖 | 世界そのものの行方を左右する存在 | 直接的な接触は少なくとも、運命レベルで関わる |
四騎士は、単なる“強い敵キャラのセット”ではありません。支配の悪魔は、誰かに従うことで楽をしたい気持ちと、その代償として失われる自由を突きつけます。戦争の悪魔は、対立やすれ違いがエスカレートした先に何が残るのかを、アサとの共生を通して見せてくれます。飢餓の悪魔は、「足りない」状態が人や社会をどのように歪めていくかを、長いスパンで描き出します。そして死の悪魔は、どれだけ足掻いても最後には行き着く場所としての「終わり」を、物語全体の背景に置き続けています。
興味深いのは、彼女たちが一方的な悪意の化身ではない、という点です。マキマは歪んだやり方で平等な世界を望み、ナユタは家族としての居場所を求めています。ヨルは戦争を取り戻したいと願いながらも、アサとの関係にほころびを抱え始めています。ファミは世界を救うと称しつつ、自身もまたより大きな力に振り回されている。死の悪魔もまた、世界を終わらせたくないと願う側面を持つと示唆されます。極端な恐怖の化身であるにもかかわらず、それぞれの内側には「人間的な欲望」や「孤独」が混ざり込んでいるのです。
デンジやアサといった普通の人間に近いキャラクターたちは、四騎士と関わることで、自分自身の中にある支配欲や攻撃性、欠乏感や死への怖さと否応なく向き合わされます。四騎士との戦いは、派手なバトルでありながら、同時に「自分は何を望んで生きているのか」という問いかけでもあります。誰かに全部決めてほしいのか、それとも不器用でも自分で選びたいのか。奪う側に回るのか、守る側でい続けるのか。その揺れ動きこそが、チェンソーマンのドラマの芯になっています。
今後の展開では、四騎士同士の関係性がどう変化するのかが重要なポイントになっていきます。支配・戦争・飢餓・死という四つの恐怖は、それぞれ独立しているようでいて、実際の歴史では常に絡み合ってきました。支配が争いを生み、飢餓が戦争を加速し、その果てに多くの死が積み重なる。こうした連鎖が、作中でもどんな形で表現されていくのかを追っていくと、四騎士の登場シーンは単なる見せ場にとどまらず、作品全体のメッセージを読み解く手がかりになります。
四騎士は、チェンソーマンという物語に「縦軸」を与える存在です。第一部と第二部をまたいでデンジたちの人生に干渉し続けると同時に、読者に対しても、「自分は何を恐れているのか」「その恐怖とどう付き合っていくのか」という問いを突きつけてきます。支配も戦争も飢餓も死も、完全には消し去れない。それでもその中で、どんな日常を選び取るのか。四騎士の物語は、その極端な形を通じて、現実に生きる私たちの足元を照らしてくれる構造になっています。


